小説:七人の敵がいる

お話を読んでいて、これもある意味、仕事小説なのではないかと思った。


陽子の地で、前のめりに発する言葉に、感情があふれ出ていて、共感しつつも、あちゃーと思われるその場の雰囲気もあわせて、面白く思われた。

自分の不安を逆算して、相手に伝わるにはなんて言おうと考えていく。角を立てずに、やんわりと自分の意図していることを伝えることもできてしまう頭の良さが、うらやましい。

また、自分が感じた違和感をしっかりと記憶していて、それを思い返して(「それってどういうこと?」)と腹落ちをさせて次の機会に生かしていくところが、カッコよく思われた。

正論に対峙する正論。ここで書かれている正論は、理想のような正論、現実的には無理を前提としての話なので、具体的に数字で説明して、こうならできるという落としどころに突き進むところは、痛快であった。

相手の意見を聞く、振り出し方など、自分にもできたらと感心して読み終えた。

 

「いかががですか?」
「無理ですね」
「と申しますのは、私は仕事をしておりますので、具体的な内容も分からないままお引き受けするような無責任なことはできかねますということです。」
「それでしたら入学式のときにお配りしたPTAのマニュアルが・・・」
「一通り目を通しましたが、肝心の、拘束日数、拘束時間などが書かれていません。」
「そもそもPTAの役員なんて、専業主婦の方じゃなければ無理じゃありませんか?」


〇確認を取るような形の話し方
「(お迎えで規定の時間から遅れた際に、旦那が遅れてもその場で何も言われない)けど、後で私がお迎えに行ったときに、苦情を言われるんです。こういうことじゃ困りますって。何か変だと思いませんか?」
「(『子供を迎えに行くこと』は、)母親が行けないときには父親がお迎えに行く。すごく当たり前のことであって、何も特別だったり誉められたりするようなことではありませんよね?」

「今回のことは、本当に申し訳ありませんでした」
「お義母さんのおかげで、私たちは安心して仕事を続けることができています。お義母さんが陽介のためにいろいろしてくださることに甘えすぎていました、私たち」
「・・・それで私たち考えたんですが」
「今後、陽介をお迎えに行っていただいた時には、日当を払わせてください。」


〇正論で相手を追い詰めていく
角を立てないためには言葉を選びつつ、やんわり、遠まわしに、問題点を幾重にもオブラートでくるんですこしづつ提出する必要がある。
一方で、無難な対案、要するに「去年と同じ企画」をそっと出す。合間合間に、笑顔や視線で他のメンバーの賛同を促しながら・・・ものすごく迂遠、かつ高度な技術を要する会話運びをする必要がある。

「・・・あの、行先は例年通りのちびっこランドに決まりですよね。一生忘れられない思い出って、いったい何をするおつもりですか?」
「会長としては、具体案はあるんですか?」
「スイカ割りなんていいんじゃないかねえ。」
「売ってますけど、まだかなり割高ですよね、その頃だと、予算、足りますか?...誰がどこで調達して、どうやって現地まで運ぶのですか?」
「園内はかなり広いですけ...」

〇言っていることは要するに「電話対応なんて女にやらせときゃいい」
「無駄、無駄」こんな電話の相手をするのは仕事ではないと、後輩男は思っている。
「それじゃ、同僚にその無駄な仕事を押しつけることについてはどうなの?」
「おれ、小原さんみたいに、ああいう手合いをうまくあしらえないですよね。・・・向いている人がやって、さっさと終わらせた方がいいじゃないですかねー。小原さん、いつも、さすがって感じじゃないですか」
「できねーんじゃなくて、やらないだけでしょ」
「自分の無能を正当化しているヒマがあったら、さっさと電話に出なさいな」

〇仕事
求められている(であろう)文章を、息をするように書けないようでは、編集者なんてやっていられない。
義務でやらされているボランティアと思うから苦痛なのであって、戦術趣味レーションゲームをやっているのだと考えれば(やや無理があったが)やり甲斐を感じることができる。


〇岬さん、とても頭のいい人と思った。人間をきちんと観察し、あらゆる事態を想定した上で、余計なトラブルを未然に防ぐ配慮のできる人だ。いちいち火種をつついては、山火事を起こしてしまう陽子とはずいぶんな違いである。


〇ボランティア集団による事務作業
肝心なのはプランを複数用意することだ。それを提示した上で「どれがいい?」と選ばせる。後で「独断専行」などという誹りを受けないための、大切な布石である。あくまでも「皆で選んだ」という事実が必要なのだ。

「私の気持ちを察してほしい」「言わなくてもわかるでしょ」みたいな気質が、陽子は大嫌いだ(ついでにいえば、何かと「不公平」だとか「不平等」だとか言い出す輩も。もっともらしいことを言って、その実自分がわずかな損もしたくないだけってことが大半だ)。大多数の<暗黙の了解>通りに動けないクラスメートを、<空気が読めない>と切り捨てて白眼視する子供たちと、何ひとつ変わらない。



「ねえ、こういう話があるんだけど、・・・どう思う?」
「こういうふうにしたら、子供たち、喜んでくれると思う?」
などなどと、「相手の意見を尊重する」姿勢を見せるのだ。

〇正論
選挙権を行使しない人間に、政治について文句を言う資格がないように、出席しなかった会議で何が決定しようと、欠席者に文句を言う資格はない。それが道理である。正論そのものである。正論というものには柔軟性がない。正論はきっちりとした正方形である。そして、正論は白黒の市松模様をしている。それを形が定まらず、何色ともつかない色をした「現実」に無理やり当てはめるのは、やはり無理なのだ。

読書案内:お金のむこうに人がいる

何かを購入するときに、人の仕事に支払っているという考えをするのは、面白いと思った。感謝の気持ちでお金を支払うのは、これまであまりしてこなかった発想だ。

お金を使うではなく、お金を流すという発想も、コストを払うというより、
意図的に払う感じがして、お金をこれまでより意識的に使う感じがした。

人中心で考える経済学の考え方は面白いと思うけど、具体的に、貯蓄は?、給与は?、家計は?と思うと別に自分の消費が時代を動かしているかもしれないけど、目先のことしか考えていない消費が多いし、実際の家計のやりくりは変わらないし、結局は考え方を変えたところで変化が見出せなかった。
また、GDPを考えて、消費をしているわけでもなく、どうせなら、GDPではっきりと数値化できるなら、家事などの費用を見せてもらいたいとさえ思う。家事に従事する人は、月10万円とか給付され、GDPに数値化できるようにすればよい。税金も取ればよい。

自分の勤務に給与は見合っているのか?という視点(同じ業務を効率よくする人と
遅い人で給与は同じなの)という視点はどうなの?とか、お金に関してもっと知りたいことがあった。

私自身は、この本で自分の関心の答えは見つからなかった。


お金のむこうには必ず「人」がいる。あなたのために働く人がいる。
僕たちは自分の労働を提供してお金をもらい、そのお金を使って誰かの労働を消費
している。


○お金の機能
お金には、交渉力と伝達力がある。
それは、言葉の伝わらない外国語にいても、相手が提示した価格さえ払えば、
他の人に働いてもらうことができる。
お金を流せば、自然に労働が集積され、どんな複雑なものも作り上げることが
できる。

 

○労働と価格の関係
すべてのものは労働によって作られている。
金だって、ステーキだって、原材料はタダで、大量の労働によって生産されている。
多大な労働がかかるから、価格が高くなる。

技術革新などの生産の効率化によって僕たちが受けている恩恵は、材料費や原価が
安くなることではなく、「労働が節約できること」。小人数で多くものを生産できれば、多くの人に行き渡らせることができる。節約できた労働を、他のモノの生産に使うことが可能になる。

自分がタダの労働を提供する時代なら、その目的はお金ではなく相手の幸せだった。
しかし、ほとんどの労働に価格がつくようになると、労働の目的は、お金と切り離せ
なくなる。相手の幸せを考えるよりも、相手に多くのお金を払わせることが
目的になっている人たちもいる。


現在あなたがお金を使えるのは、同じ空間の中に働いてくれる人がいるからだと考える。その人が働くことによって、あなたの生活が豊かになる。人中心で考える経済学。反対に、お金を稼いだからお金が使える。お金を使うためにお金を稼ぐという経済学。
ひとりの時間軸、お金中心の経済学。

 

○投資とは
投資とは、「将来のために使う労力」
勉強が投資と呼ばれるのは、自分の将来の可能性を広げることに労力を使うからだ。
大学に入るため、資格を取るために何年も勉強したりする。公共投資によって道路や
図書館が作られるのは、将来の人々の暮らしをよくするためだ。
多くの人が想像する投資は、投機と呼ばれるギャンブルであることが多い。

投資とは未来の生活を設計することだ。生活がより豊かになるために何が必要なのか
を考え、その研究開発や生産準備のためにお金を流す。投資によって、未来の選択肢
が増える。

消費でも投資でも、僕たちがお金を流すときには2つのことを比べている。
消費であれば、商品がもたらす「効用」と「価格」を比べて購入するかどうかを
決定する。
投資する場合は、その事業の「収益」と「費用」を比較する。
収益と費用を比べるということは、その事業が将来もたらす効用とその事業に
現在費やされる労働を比べることである。

お金はただ流れるだけだ。情報産業に注ぎ込まれたのは、お金ではなく、膨大な労働だ。僕たちが流している投資や消費のお金が、労働の配分を決めていて、その配分によって未来が作られている。

政府がお金を流そうとする理由は大きく2つある。みんなが使えるモノを作って効用
を生み出すことと(図書館をつくる)、生活に困っている人にお金を配ることだ(
児童手当のようなもの)。

お金を流すことが自体が目的になると。人々にムダな労働をさせていることや、
人々にもたらす効用が少ないことに気づけなくなってしまう。

「どれだけの労働が、どれだけの幸せをもたらすか。」
「誰のためになるのか」「どれだけの効用を増やすのか」を気にするべき。
「誰が働いて、誰が幸せになるのか」を考えれば、誰のためにもなっていない
と感じたら、疑った方がいい。

昔の日本で、多くの子供を育てることができたのは、親だけではなく社会も、
子供を育てる負担をしていたからだ。この「負担」は金銭的な話ではない。
社会全体も子育てにもっと協力的であった。
現代の日本では、地域社会に子育てを負担してもらえることが少なくなった。
そして、社会は子育てに協力的どころか寛容さを失っている。

読書案内:The HOPE 50歳はどこへ消えた?半径3メートルの幸福論

この本は、とても素敵な言葉、著名人の言葉が所々に散りばめられており、
人に話したくなるようなうん蓄がたくさんあった。

幸せになるための知恵や生き方の例が、具体的に書かれていた。
成功した人は決してパーフェクトな人ではなく、自分を認め、他者ともいい
関係を保てられる人であったことが述べられていた。

この本は、自分が異質なものと遭遇してしまって、相手との違いを受け入れる
ところから始まっている。自分を再定義して、行動を起こす。
自分が成長のどの位置にいるかを見つめなおすことが大切と思った。
感謝の気持ちを持ち続けることが必要であることが分かった。

 

英語で、孤独は、自分で選択する孤独(solitude)と、寂しい孤独(loneliness)に
分けられる。
自分で選択する孤独は、「自分の存在」を自覚できる状態。一抹の寂しさを感じることがあっても「自分だけじゃないよな。ほかの人も似たようなもんじゃないかな」と考えたり、他者と自分とのつながりを自由に開いたり、閉じたりできる。
一方、寂しい孤独は、周りに人がいても排除されている感じがして、居場所がない、
望まない孤独だ。他者と共に過ごし、信頼を保つことで安心を得てきた人間にとって、
他者の温もりを感じることができない寂しさは大きなストレスになる。


人間は生物的に、周期性、規則性のある行動を好む傾向がある。
例えば、家庭のルーティンとは、
①食事の時間がだいたい決まっている
②あさごはんは、できる限り一緒に取る
③家を出る時は必ず「行ってきます」と言い、家族が「行ってらっしゃい」と返す。
④家に帰った時には必ず「ただいま」と言い、家族が「お帰り」と返す。
こうした当たり前がしっかりある家庭の子供はストレス対処力が高く、家族の満足度
が高いことが、いくつも研究で確かめられている。家族と共に過ごす時間が日常的にあれば、少なくともその瞬間は心が休まる貴重な時間になることは間違いない。


自分のある人は、周りに流されたり、自分を殺したりすることなく、他者といい関係を
築くことができる。人間関係に疲れた時には、自分で選択する孤独をうまいこと利用する。そうすることで【半径三メートル世界】の生活を楽しみ、イキイキとした日常を送ることができる。

 

私は「人は幸せになるために生まれてきた」と信じている。それを実現するために必要なものがこれら6つの思考であり、幸せの6つの思考を習慣化することで、すべての人に宿る「幸せへの力」が引き出せる。

心理的ウェルビーイングの6つの思考
①自己受容=自分と共存する
②人格的成長=自分の可能性を信じる
③自律性=自分の行動や考え方を自己決定できる
④人生の目的=どんな人生を送りたいかはっきりしている
⑤環境制御力=どんな環境でもやっていけるという確信
⑥積極的な他者関係=温かく信頼できる人間関係を築いているという確信

 

①自己受容=自分と共存する
「ありのままを受け入れる」
自身の人間性の欠点を認め、理想と食い違っていることを承知している。他者の欠点も
それはそれとして受け入れている。自分を誇張するような見せかけの態度、偽善的な
言葉遣い、狡猾さ、対面を気にする様子、厚かましさなど、まったく見られなかった。
他者の言動に苛立ったり、嫌気が差したりするようなことがあっても、あたかも家族
のような愛情で相手に接していた。
人を幸せにすれば人から評価され、社会を幸せにすれば社会から評価される。

 

②人格的成長=自分の可能性を信じる
50歳ともなれば、後輩のため、地域のため、次の世代をよりよいものにすべく積極的に
関わることで、「世話」に喜び=美徳を見出すことができる。

 

③自律性=自分の行動や考え方を自己決定できる
最後は「自分の生き方を決めるのは自分」という強い信念のもと、自分の価値判断で
行動する。自分で、たくましくて、しなやかな生き方を実現する。それが自律性だ。
真の自律性は、極めて個人的で、自分の内面から自ずからにじみ出るもののことだ。
男性は、30代ですでに自分の会社での立ち位置が見え、やる気を失ったり、自分で
限界を定めたりしてしまう人が多い。

 

④人生の目的=どんな人生を送りたいかはっきりしている
人生を意味あるものにするには、具体的には活動することだ。自分の活動を通じて、
もっと有意義で、もっと意味に満ちた人生を送ることができる。
ささくれた気持ちになることもあるかもしれない。しかし、「あなた」が応えよう
としていたのは、そもそも「会社の期待」だったのではないだろうか。

 

⑤環境制御力=どんな環境でもやっていけるという確信
自分が自分でいるためには、時として自分で環境を変える努力が必要になる。
自分自身のために、納得できる自分でいるために、現状を打破するために、とことん
踏ん張らなきゃならない瞬間がある。
一つ一つ自分のやるべきことに完全燃焼し、内面を進化させることが、壁を超える力
になる。小さな自信を積み重ねることで成長を実感し、「私がやっていることには
意味がある」と確信するようになる。

 

⑥積極的な他者関係=温かく信頼できる人間関係を築いているという確信
積極的な他者関係における信頼とは、ただただ、相手を愛することである。
相手を信頼するという行為は、相手の行動によっては自分が不利益を被ったり、傷ついたりするリスクがある。なので、相手への期待がついて回るものだ。しかし、信頼と安心は別。信頼とは相手に何も期待せずに、初めに受け入れること。一方で、安心は「きっとこうしてくれるだろう」と、自分の利益をもたらしてくれる相手選びから始まる点で大きく異なる。
著者は、「愛はケチるな」。裏切られてもよいと思おうと強調している。

 

司馬さんは。「いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさ、は一つの根から出ている言葉だが本能ではない。」「訓練して身に付けねばならないのである」と説いている。絶好調の時ほどちょっとだけ立ち止まり、自分を支えてくれた人を思い出して感謝し、社会的に評価されている時ほど「自分は他者をないがしろにしていないか?」と謙虚なまなざしで他人を思いやる。そのための訓練を忘れてはいけないのだ。

 

読書案内:感情の問題地図:「で、どう整える?」ストレスだらけ、モヤモヤばかりの仕事の心理

とてもよくできている図書だと思いました。
たぶん、すべてのモヤモヤが網羅されているのではないかと思われました。

私のストレス、モヤモヤは、個人の能力や性格に起因するものが原因と思われるので、
簡単に対処できないと思われました。受け入れるしかないタイプのものが悩みを占めているのに、本人が気づけないために、無駄にさまよう感じです。

マインドフルネスの方法が書かれていたのを、参考にしてみたいと思った。
考え(イメージ)、感情、身体感覚、行動的な衝動・行動傾向を書くというもの。

普段から、自分の感じている気持ちを文字にしておくなど、自分の気持ちに寄り添って
いないと、忘れる、思い出すを繰り返すばかりで、何の進歩もできなさそうであることを感じた。
ぜひ自分の内側に目を向けることから始めたいと思いました。

自分の感情や気持ち、「自分がどうしたいのか」といった内側のことに目を向ける機会を持つことで、問題になる感情の事柄の多く、体調不良も、改善すると思われる。


「怒り」
怒りの機能は「傷つけられている大事なものを守ること」です。
・大事なものを特定する
・守るための行動をリストアップする
・優先順位をつけてどんどんやる
・試した結果を振り返り、効果の高い行動を継続する

曖昧な指示がでたときには、方針に食い違いが起きていないか確認をする
どのように仕事を進めていくか、方針を明確して、共有する

DESC法
Describe:とにかく客観的に状況を描写する
Suggest:解決案を提案型で
Choose:相手に選んでもらう
誰が聞いても、「確かにそうだ」となる客観的な状況描写から始められれば、
相手を反論する姿勢ではなく、こちらの話を聞いてもらいやすい姿勢に変えられる。
相手にどんな行動をとってほしいか、相手に望む行動や妥協案を提案する。
ただし押し付けはNG。

「悲しみ」
失ったことに意味を見出す5つの方法
「大事なものを失った」という事実は変えられません。けれど、「起きた出来事を
どう捉えるか?」は、自分で変えることができます。人は悲しい出来事に意味を見出す
ことで悲しい出来事を自分の成長に結びつけることができます。
・その出来事から肯定的な気付きを得ること
・理にかなっているところに目を向けることで、自分の中の拒否的な反応が減り、歩み寄りができやすくなる
・自分の苦手や弱さへの自己理解が深まる
・自分の強みや弱み、得意、不得意にあわせて役割や目標を再設定する
・自分をほめる

「落ち込み」
落ち込んでいるときには、同じことをワンパターンになっていることが多い。そこから抜け出すには、頭のなかで繰り返す反すう思考から現実に向き合えるような思考をする、「今、できる行動」を考えてみる。
事実としか言いようのないものである場合は、受け止めるしかない。
立ち向かう、一歩引く、1人で、サポートを受けるなど、できる対策を考える。

・「今、自分は、〇〇と考えている」と表現してみる
反すう思考に巻き込まれている自分を「反すう思考している自分」と「それを観察している自分」とに分けることができる。
・「今、いくつくらい?」と数値化してみる
・ただただ書き出してみる
現実に沿った考え方をすることで、落ち込みを予防することができます。
極端にネガティブに偏った反すう思考からバランスをとる。
客観的な根拠なしに、頭の中で勝手に思考を膨らませて落ち込みを長引かせていることが多いし、その際にポジティブな面を見落としがちである。
たいてい視野が狭くなっている。そんな状態のまま、一人で考え続けるというのは、自分を責める声と2人だけで対話を続けているようなもの。
・「今、自分は「あのときこうしていればよかった」と考えている」
・「あの場面での〇〇についての説明という行為に不十分なところがあった」
(叱られた行為を改善することに注力しましょう。)
・責められているのは、自分という人ではなく、”行為”についてだ。
・「それを考えることで、いいことある?」(実際にミスしてしまったとき)

「不安」
・あえて不安をそのまま口に出してみる。
まずは「口に出す」ということをしてみないとわかりません。口に出してみることで、”わかる”領域が増えることは案外多いものです。
・わからないことを書き出してみる
 プロセスを書き出してみて、スケジュールや見通し(トラブルになること)を立ててみる。
・最初の一歩をスモールステップにする
・その作業を終えたあとのことをイメージする
・本当にわからないことは、手放すしかありません。

自分の能力や性格に関わる不安の場合は、「不安」の対処が難しい。
自分のマイナスなところにばかり目が向いていて、視野も狭くなってしまう。不安は消えず、モヤモヤが続く。

不安がある場合の業務の仕切りと、自分が苦手な作業や、嫌いな仕事に取りかかるのは似ている。

読書案内:モテと非モテの境界線 AV監督と女社長の恋愛相談

読み進めていくと、ビジネス系の啓発書の内容のように感じられた。
上司と部下とのコミュニケーションの方法、何をゴールにするか、何を求められているかに気付くという視点など、すべてビジネスに通じる気がした。

「相手にコミットする」「対話とは自分が再構築されること」この部分が、僕には
できないところなのだと思う。自分を守りに入れてしまう。
モテというのは、ポジティブで、自分が目指す方向が見えて、どう行動するべきかまで見えいている人のスタイルを指すのだろう。

どう気持ちを持っていくかについて気付けられただけでも、未来は明るいのかな。

 

仕事として、読み替えてみる。

・「仕事すればいいんだろう」ではない。これについて、このように対応するという
ビジョンを持つ
・業務に対しての意見を交換しあう
・自分にとって仕事がどうありたいかを考える
・嫌なこともあるが、向き合う
・職場での日常を楽しむ
・感謝の言葉があふれる職場をつくる
・お互いのよいところを褒めあう
・自分の意見が変えられていくこと(壊されること)をよいことと考えよう

 


〇相手を観察する

婚活女子が求める「誠実さ」とは、お相手の本当の欲望にコミットすることを要求している。
何を欲しがっているのかということを、決めつけないで、その都度ちゃんと考える。
相手自身も気づいていない欲望である場合もありますから、押し付けないで、
一緒にちゃんと考える。
「そのとき、いちばんしてほしいこと」は一人ひとり違います。
「浮気しなきゃいいんだろう」「家に金を入れときゃいいんだろ」と決めつけるのは、
あまりよくない。奥さんは、旦那に理解しにくいすごい不満を抱えている可能性が
あります。

相手が合わない人なのかどうか、自分をどう思っているのか、についてのセンサーは
持っていたほうがいい。
モテる男の人は「自分のいいところをわかってくれる女性」を探すのがうまい。

 

〇環境も大切です

うつ病になりやすい会社は、日常的にポジティブなコミュニケーションがほとんどない
ところ。男性社員の割合が多く、会話の少ない会社は、有病率が高いです。
自己肯定感の低い人がい続けると、すぐ「また失敗しちゃった」「やっぱり自分は
ダメなんだ」って、心の声の”内耳”で自分を責めちゃうのです。でも、外から
聴こえる声を拾う”外耳”で「ありがとう」「あの仕事はよかったよ」と言って
もらえる環境にいれば、過度に自己否定せずにすみます。

 

〇普段から考える

幸せになるには「自分にとって何が幸せなのか」をちゃんと考えないといけないん
です。例えば、Cくんは美人が好きだと言うけれど、どうやって美人と出会って、
セックスして、結婚するかということに対して、あまりビジョンがないのかな。
「自分の幸せとは何かわかっているか?」「それを得るために行動をしているか?」

丁寧に接したり、優しくしたら、とってもいい笑顔で女の子が「ありがとう!」って
言ってくれる。それは、自分にだけ向けられている笑顔で、テレビ向けにつくられた
芸能人の笑顔よりもずっと魅力的に見えるはずですよ。そういう生身の感動を
味わってほしいな、と思います。

美人じゃない女性も女性なんだと意識するだけで、美人にモテるようになります。
合コンで盛り上がらないところをどう盛り上げるかを見てるんです。
まわりに気を配っているかどうか。興味のない人にも礼儀をもって接しているか。
女の人は、男性の器をよーく観察しています。
いろいろなことに対して「これしかダメ」と限定している人を見ると、「器が
小さいな」と思ってしまう。逆に器が大きくて許容範囲が広い人は、すごくモテる。

初対面の女性を褒めるなんて基礎中の基礎です。
人をほめるときには、感情を込めて言う、これが絶対大事です。
ほめるポイントは、正直なんでもいいんです。あなたが本当にそう思っていて、それを
伝えたら喜ぶだろうなと思うことなら。要は、人の「いいとこ探し」ができるかどうか
です。
相手のいいところ探しをすることは、出会うきっかけやモテるだけではなくて、
自分の人生をも結局豊かにしてくれる。

 

〇対話を大切にする(結婚までのステップ)

結婚までに踏むべき3つのステップ
共通項をみつけてな良くなる、一緒に楽しい体験をする、自己開示。
ステップをちゃんと踏んで結婚して、結婚したあとも関係のメンテナンスをし続けて
いかないと、幸せな結婚生活は送れない。

女性を「人間」として見られず、「女性という別の生き物」として見ているのかな?
圧倒的なコミュニケーション不足だと思いました。
対話とは何かというと、相手の話を聞いたことによってどれだけこっちが変われるか、
ということです。「変化すること」この大事さをわかっている男性は、ものすごく少ないと、常日頃から感じています。ガチガチに凝り固まってしまうのではなく、柔らかく
変化を受け入れることを、女性は求めています。
男にとって変わるのはつらいことなのです。変わらないのを選択しているのは無意識。
「俺はこうでなきゃ生きていけない!」というこだわりを持つけど、「こうじゃなくても」生きていけるものです。
対話して、自分と相手がそれぞれ何にしがみついているのか自覚させられる。そして
同時にぶっ壊れ、再構築される。それが対話です。

いろんな目にあって、いろんな体験をして、壊れることに慣れる。身構えている自分を
全否定しなくてもいいから、身構えていることを自覚して、何を言われたら身構えてしまうのかを知ることが大事。

 

 

読書案内:ルールはそもそもなんのためにあるのか

『ルールはどうあるべきか』というタイトルにすべきなんじゃないかと思った。

 

ルールは、お互いさまという配慮を持った行動がとれるようなルールだと、よいルールと言われるようだ。しかし、杓子定規にルールだけ守って開き直って相手を見下すようなことをしてしまうと、相手の許せないという心に火をつけてしまうことがある。裁判という制度(ルール)で、解決を考えても、それですっきりしないこともある。

 

この図書のタイトルは、『ルールはそもそもなんのためにあるのか』である。

ルールを作るなら、皆が納得するものを作らないといけないというのは分かった気がする。でも、ルールを考えるとき、スポーツのあらかじめ定めたルールに似た、支配者側が押し付ける、配慮のない、ルールが多いのではという気がした。

そうすると、ルールは、勝ち組が世界を支配するためのルールで、世界を秩序つくるためにあるのではないか、という気がした。つまり、ルールは、弱者が食われるためにある。

 

「ルールは、なんのためにあるのか?」それは、弱者を抑えつけるためにある。
以前読んだ日本国憲法の本には、国民が政府を見張るためにあるって書いてあった気がするが、どうしても制度と実体が伴わなくて、納得がいかなかったことを思い出した。

 

この本は、ルールはそもそも、皆が配慮しあい共益であるためにあるものなのに、そうなっていないということを、逆説的に伝えたかったのかな。

 

正義は人々の嫉妬心にある。
「自分とあいつは同じなのに、なぜ自分は我慢して、あいつだけおいしい思いをするんだ?」という感情(嫉妬心)だが、これは決して醜いものではない。正義は誰かの諦めや犠牲の上に成り立つものではない。


この場合の「誰から見ても決して許せないこと」に共通する構造は、Aの情況とBの情況が同じ場合に、ちゃんとした理由なく差別的に取り扱われているときに発生する。皆が納得する理由が示されれば、差別的な取り扱いにも怒りは起こらない。

 

世の中、形式的には法律やルールに反していないとされる行為でさえ、他人をモノのように扱うとか、セコい下心が透けて見える行為というのが結構ある。そういう行為が横行すると、当のルールへの人々の尊重心が薄れ、やがてそのゲーム自体が堕落してしまう(ルール自体がそのゲームの意味や世界観を表しいるのであり、それを守ることが対戦相手への敬意を表すものにもなる)。だからスポーツに限らず、フェアプレー精神を大切にすることが必要だ。

 

ルールには「要約的見方」に立つもの、過去の経験に基づき、人々がこれからどのように行為をすべきかを決定するルールと、「実践的見方」に立つスポーツのような、あらかじめ定められたルールに従わなければならないルールとがある。

 

利己的な人々がどういう条件のもとで自ずと社会秩序を形成するのか、そのパターンを知り、それを立法者が課そうとしている法や条例と一致させるように工夫すれば、人々にとって可能な限り違和感のない法となり、かくて人間社会は円滑に調和的に進み、人々を益することになろう。逆に利己的な人々の行動原理を無視し、ただただ罰を振りかざして命令するだけの法は、人々や社会を害することになる。

 

ルールとは、人為的に作るものではなく、人々日常生活での営みから自然に生じて、皆に利益を与えるがゆえに喜んで受け入れられ続けられるものがもっともよい。

 

ネット世論SNSを介して自分の<正義>を振りかざし、いつも誰かを叩きたい人。
 自分の価値観が正しいと信じ、かつそれをわざわざ言いたい人が、匿名性に隠れて自分の意見を強く主張する。

 

「キャンセルカルチャー」SNSを用いて、社会的に重要な立場にある著名人の隠蔽された過去の犯行や前科、不祥事を明るみに出すことによってその人の責任を追及し、結果的に失脚させるなどの活動。

読書案内:きみの人生に作戦名を。

自分の人生に作戦名を立てることにより、よりよく生きようという啓発書です。
最後まで読み進めると、結局、誰よりも楽しそうに物事に没頭している姿が何より素晴らしいとなっている。それでいいのか?とそれがゴールなの?との気もする。
作戦名を立てるのは、その儀式のようだ...と思われた。

 

名前を付けること:
名前をつけることの本質は、その対象に愛着を持ち一緒に生きることを決めることである。
自分の人生を自分に取りもどすために、自分の活動に名前を付けることは意味がある。
言葉の解像度を上げることは、活動の解像度を上げることに直結する。いい言葉と共に生きるだけで、行動は先鋭化すされるし、十分に意味がある。

新たな活動の骨格が見えてくると、具体的な一歩が進められるようになる。
「一歩を踏み出せば、意外とうまくいく」「世の中こうあった方がいいと思う。」「自分がこの活動を行うことで、助かる人がいるはずだ」「自分がやらずに、誰がやるのか」といった心の奥底にあるやさしさを増幅させ、行動として結晶化させる。