読書案内:仕事の基本

どの言葉もとても胸に響きました。個人的には、イーロン・マスクの言葉が特に印象に残りました。失敗の中にも小さな成功を見いだし、振り返りを続ける姿勢に共感しました。私も、自分にできることから始め、自分なりのベストを探していきたいと思いました。

最近、「The Age of Distraction(誘惑の時代)」という言葉を知りました。スマートフォンやSNSによる情報過多の中では、自分の注意力や思考が容易に奪われてしまいます。だからこそ、本書で繰り返し語られている「振り返ること」「自分の頭で考えること」「自分の軸を持つこと」が、これまで以上に大切になっているのだと感じました。

これらの言葉は、すべてつながっているように思います。時間管理も、振り返りも、率先して行動することも、結局は「自分はどこへ向かいたいのか」という問いに行き着くのではないでしょうか。その答えは本来、自分の中にあるはずなのに、日々の忙しさや周囲の情報に流されているうちに見失ってしまうことがあります。

本書を読みながら、結局は「どこへ向かいたいのか」を自分自身に問い続けることが大切なのだと感じました。


イーロン・マスク
自分自身がポジティブ思考のサイクルに入れるよう意識的に努力している人
継続的に振り返り、自分がやり遂げたこと、これから改善することを考え続けることが、唯一かつ最も大事なことだ。
私は日頃からノートを持ち歩いています。毎週必ず時間を確保し、ノートを開いてはその週の活動を振り返るよう心がけています。
数々の失敗のなかに小さな成功を見いだし、自分を奮い立たせ、改善へのモチベーションを意識的に作り出していく。

キム・クラーク
Remember who you are 自分が誰であるかを忘れないようにしなさい
「今日も一日、リーダーらしくしなさい。自分が正しいと思うこと、間違っていると思うことは絶対に曲げないことです。人の言いなりになってはいけません」正しいこと、間違っていることを、常に自分に問うて、自分の基準で判断しなさいと教えた。
「正しいことをしなさい」ではなく「自分で善悪を判断しなさい」と伝えていることです。このメッセージは、正しいことと、間違っていることが、人それぞれ異なるということを前提にしています。誰かが正しいこととして定めたルールを守ればよいのではなく、正しいことは何か、と自分に問わなければならない実社会の難しさを見事に表現しています。

ピーター・ドラッカー
成果をあげるには自由に使える時間を大きくまとめる必要がある。
「自らをマネジメントできない者が、部下や同僚をマネジメントできるはずがない」という強い信念をもっている。
「成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとられているかを明らかにすることからスタートする」
 時間を管理するには、まず自らが時間をどのように使っているかを正確に把握しなければならない。

ドリュー・ギルピン・ファウスト
私が、キャリアを計画中の若者に助言をするとしたら、「いつでも即興でやれるように備えておきなさい」という言葉をかける。
「即興」の成功の裏には必ずしっかりした「計画」があるということ。

ココ・シャネル
運命のために、できるだけ可愛く
「常に周囲を惹きつける人間的な魅力を備えていよう」という意思を持ち続けた。
仕事でも個人としても魅力的であろうとするこの小さなセルフコントロールによって、何か運命的な出会いをつかみ取れるのです。

エイミー・カディ
体を大きくゆったりと開いて「力のポーズ」と呼ばれる姿勢を意識的にとる。そのことによってホルモンの分泌が変化し、内面から自信が生まれ、力強く自己を主張することができるようになる。カディは、大事な面接や商談の前に、トイレの個室で2分間「力のポーズ」を取ることを勧めています。
「フリ」だけであれば、それは偽物です。しかし、「フリ」をすることで自分にスイッチを入れ、努力する好循環を生み出し、結果として自分を本物にまで引き上げる。「フリ」をするためにも、しっかり準備をして実践に臨む。

エマ・ワトソン
リーダーシップとは「率先してやること」だと教え、その重要さを繰り返し強調します。誰もやっていないことに率先してチャレンジする。自分が信じることを恐れずに口に出す。チームの誰よりも真っ先に一歩を踏み出す。そういった姿勢がリーダーシップの源泉。

エリック・シュミット
わたしたち人間には「前例にとらわれずに、ゼロベースで、自分の頭で考える力」が、今後一層求められる。
自分の頭で考えるべき時に、まず情報を検索している自分に気付くことはありませんか。手元に便利なデバイスがあることで、自分の頭で考える前に、まず情報を探す誘惑が存在します。自分の頭で考えるときに、情報を検索してしまっているとしたら、それは問題視すべきことでしょう。

小説:愛なき世界

研究者たちのリアルな日常が淡々と描かれている点が印象的でした。
作中の「愛なき世界」とは感情を持たない植物を指しますが、日々研究に取り組み、力尽きて寝落ちする彼らの姿のなかに、植物を知りたいという情熱こそが、「愛」にあふれているんだという気づきがあった。研究対象だけでなく、相手を「知りたい」と純粋に願うこと。それ自体が大切な「愛」なのだと気付かせてくれる、静かで優しい余韻が残る一冊でした。


本村さんたちが研究しているのは、つまりは生き物がどうして生まれ、どうやって生き、なぜ死ぬのかってことについてなのかもしれない。俺も含めて多くのひとが、一度は抱いたことのある疑問。でも、俺も含めて多くのひとが、「そんなこと考えたってしょうがないや」と投げだしてしまった疑問。本村さんたちは投げだすことなく、しつこくしつこく考え続けているんだ。

生まれてから死ぬまでの限られた時間のなかで、金もうけをしたいとか、人助けをしたいとかなら、まだ想定の範囲内だ。だけど、「真理の探究」を選び、志すひともいる。損得も、意味とか無意味とかも超え、ただ「知りたい」という情熱に突き動かされえているひとがいる。それってすごいことだ、と藤丸は思った。

「植物には、脳も神経もありません。つまり、思考も感情もない。人間が言うところの、『愛』という概念がないのです。それでも旺盛に繁殖し、多様な形態を持ち、環境に適応して、地球のあちこちで生きている。不思議だと思いませんか?だから私は、植物を選びました。愛のない世界を生きる植物の研究に、すべてを捧げると決めています。だれともつきあうことはできないし、しないのです。」

自分の理解が及ばないもの、自分とは異なる部分があるものを、すぐに、「気味が悪い」「なんだかこわい」と締め出しとおざけようとしてしまうのは、私の悪いところだ。人間に感情と思考があるからこそ生じる悪癖だといえるが、「気味が悪い」「なんだかこわい」という気持ちを乗り越えて、相手を真に理解するために必要なのもまた、感情と思考だろう。どうして「私」と「あなた」はちがうのか、分析し受け入れるためには、理性と知性が要求される。ちがいを認めあるためには、相手を思いやる感情が不可欠だ。

「これからの時代はよりいっそう、広い視野が要求されます。研究に没頭するだけでなく、どういう研究をなぜ行っているのか、それによってなにがわかり、まだわかっていないことはなんなのか、研究者出はないひとたちにも、わかりやすくお伝えしなければならない。そうでないと研究費が下りないという現実もありますが、なによりも、『すぐに結果が出て、ひとの役に立つ研究以外は、すべて無駄であり無意味である』という悪しき成果主義、功利主義が、世の中を覆いつくしてしまうからです。」
「プロとして料理の腕をちゃんと振るいながら、その料理を気持ちよくお客さんに味わってもらう配慮も欠かしてはいけないということですね」

「(葉っぱが)妖精の吹くラッパみたいっすね」
植物の不思議をまえにして、本村と藤丸は似たような空想をした。不思議だなという気持ちを分け合えたのだ。藤丸の言葉からそれが伝わってきて、本村は感激したのだった。一瞬かもしれなくても、なにかがたしかに結びあったのだと感じられ、うれしかった。
それがあるから、研究をやめられない。それがあるから、ひととして生きるのをやめられない。

サッカーや野球や音楽を好きなひとに比べると、サボテン愛好家の数は少ないはずだ。しかも加藤は、物心ついたころからサボテンが大好きで、話が合う同年代の男子は皆無だったらしい。ほかの子が自動車やら電車やらに夢中なときに、動くものには目もくれず、とげとげ下植物の生育に適した土を探していたというのだから、「それは友だちからちょっと遠巻きにされただろうな」と本村ですら思う。
そんな経験が積み重なって、加藤は口下手になった。サボテンを愛していることを、特に親しい人以外には表明せず、しかし心は常にサボテンでいっぱいなので、最低限の社交を要求される場でもしゃべりたいことがなにもない、という悪循環に陥いった。結果として「加藤くんて、なんか暗いし、何を考えてるのかわかんないよね」と、中学でも高校でもクラスメートから評されていたのだそうだ。

「俺は臆病でした。小さな鉢に無理に押し込められたサボテンみたいに、自分で自分の世界を狭めちゃってたんだなと、いまならわかります。これまでだって、俺がしゃべれば、サボテンに興味を持ってくれるひとはいたかもしれないのに、勝手に心のシャッターをおろしてしまっていたんです。」
なにかを愛しすぎて臆病になるというのは、多くのひとにとって覚えのある感情だろう。感じやすいお年ごろだった加藤が、「どうせだれにもわかってもらえない」と口をつぐんでしったのは、しかたのないことだ。だが、加藤はそこで終わらなかった。サボテンへの愛を力に、サボテンを介して、ひととコミュニケーションをとる方向へと転じた。

なにかを大切に思う気持ちが、行く先を照らすことがあるのだと、かれらを見ていると実感される。あまりに無邪気すぎる考えかもしれないが、現にシロイヌナズナの研究に打ち込み、それに楽しさを感じている本村としては、趣味でも仕事でもひとでもいい、愛を傾けられる対象があることこそが、人間を支えるのではないかと思えてならないのだった。

こんなふうに研究室のメンバーに気を遣わせるほど、私は大人げない態度をとってしまっていたんだ。自分の苦悩に搦めとられるあまり、まわりのひとのことを見たり考えたりする余裕を失っていた。
もし、失敗や悩みごとをだれにも相談したり打ち明けたりしたくないのだったら、いつもどおりに振る舞うほかない。いつもどおりに振る舞う気力がどうしても出ないのだったら、心にかかる事柄を思い切ってだれかに相談したり打ち明けたりして、分け持ってもらうほかない。元気をなくした様子を見せ、なおかつだんまりを決めこんだまま、周囲から心配を寄せられるばかりでは、大人だとは言えないはずだ。

誰かに助けを求めることは、決してかっこ悪いことではないし、自分の無力を表明することでもない。まっとうなコミュニケーションだ。むしろ、「こんな弱音や本音を言ったら、相手にどう思われるだろう」と縮こまり、寄せられる心配すら遮断すして閉じこもってしまうほうが、よっぽど勇気がなく、周囲のひとの心を無視する行いだ。

一刻も早く周囲の知恵を借り、どうするのがベストか方針を固める必要がある。黙って苦悩してれば問題が解決するならば、百万年でも黙って苦悩し続ける覚悟があるが、現実はそれでは動かないし、そもそも万年単位の忍耐を覚悟する担力がまだ残っているのなら、弱音や本音をぶちまける勇気に換えて、周囲の助けを求めたほうが事態を早く打開できるはずだ。

私も植物を見習って、感じたことをちゃんと受け止め、最善だと思える判断と行動をしよう。せっかく脳があるんだから、限界まで考え、想像するよう努めよう。研究に対してそうするのはもちろんのこと、周囲のひとに対しても。世界に一人きりみたいな気持ちになって、途方に暮れて立ちすくむのはもうやめだ。

予想どおりの結果を得るためだけの実験など、退屈です。いまどきは中学校の理科の授業でも、教科書どおりではない、生徒の考える余地を残した楽しい実験を考案し、実施している先生がたくさんいるのではないですか。実験で大切なのは独創性と、失敗を恐れないことです。失敗のさきに、思いがけない結果が待っているかもしれないのですから」

「はい、やりました」
本村はそう考え、藤丸のシャツの脇あたりをそっとつかんだ。二人はひとかたまりになったまま、その場でぴょんぴょん飛びはねる。

(ムクゲの木は六週間ぶんの気温を覚えていて、夏なったと判断して)たくさんの花をつけていた。
なんかよくわかんないけど、複雑な仕組みでおまえは気温を記憶する。生きていくために忘れちゃいけない、大切なことだからだ。
俺も同じだ。覚えようと思ったわけでもないし、忘れられれば楽かもしれないとも思ったのに、俺の脳は記憶している。いろんな料理を作る手順を。本村さんを好きになって、心臓がどんなふうに鼓動したかを。脳の仕組みなんて俺は知らないけど、記憶は勝手に刻み込まれた。たぶん、大切なことだから。


「本村さんは、愛のない世界を生きる植物のことを、どうしても知りたいんだ。だからこんなに情熱を持って研究するんだ、って。
その情熱を、知りたい気持ちを、『愛』って言うんじゃないすか?植物のことを知りたいと願う本村さんも、この教室にいるひとたちから知りたいと願われてる植物も、みんなおんなじだ。同じように、愛ある世界を生きてる。俺はそう思ったっすけど、ちがうっすか?」

小説:翠雨の人

猿橋が自身の歩みを振り返る場面では、その節目ごとにキューリーの存在や言葉が重ねられており、科学者としての生き方を考える軸になっていたように感じた。また、戦前の男性中心社会の状況や、敗戦後の日本が置かれた立場など、当時の社会情勢が随所に描かれており、その時代背景に改めてはっとさせられた。

特に印象に残ったのは三宅という科学者だった。研究者としての信念や行動に一貫性があり、筋の通った生き方がとても格好よく感じられた。

一方で、本書に登場する「科学者とは、自然の不思議に魅せられたまま成長した子供である」(アインシュタイン)や、「科学者とは、おとぎ話のような感動を与える自然現象の前に立つ子どもである」(キューリー)という表現が印象的だった。その背景や出典については十分に理解できなかったため、後で調べてみたいと思った。


勝子は無意識のうちに立ち上がっていた。その研究課題が自分の手に負えるかどうかなどより、まるで一人の研究者のように扱われた感激だけに衝き動かされていた。

あの人は、平等主義者だからね。教授と学生、男と女で不平等があるのが嫌なんだよ。誰であっても研究所に来た以上は皆がしっかり研究するべきだ、というわけだね。実習生だから、女性だからという理由で下働きのような真似はさせたくないんだろう。

何より大事なのは、どんな状況にあっても、科学の火を絶やさずにいることですよ。

伝記でみたマリーキューリーの凛とした字顔が浮かぶ。彼女が私の立場なら、どう考えるだろう。科学者を<おとぎ話のような感動を与える自然現象に向かっている子供>と喩えた彼女ならー。

夢にまでオゾン層の図がでてくるほどの苦労の末に出来上がったのが、和文と英文の四編の論文である。
それができた時の嬉しさは、今も忘れられない。努力が報われたからというだけではない。三宅の手伝いではなく、自らの手で自然の謎を一つ解き明かしたのだという喜びに、大げさでなく全身が震えた。

この私の人生も、巡り合わせの帰結に過ぎないのだ。今の境遇が幸せだといえるかどうかはわからないけれど、ことさら不幸だとも思わない。心から尊敬できる師に出会い、天職だと胸を張っていえる仕事に打ち込めている。憂いも孤独も飼いならしてしまえば、きっと不幸ではない。
ひたすら科学だけに捧げてきた半生の中で、私は何を得たのだろう。この先に何を得るのだろう。

一流と呼ばれる人は、困難や逆境に打ち勝つ意思と力を持っている。だからこそ、誰もなし得なかった研究を成功させることができるのです。あなたはこの気象研で、新しい技法を生み出し、難しい課題に挑み、精神的な重圧のもとで結果を出してきた。すでに、一流の域に到達できるだけの力を備えている。

これは敗戦という歴史的なハンデを背負った、日本の科学者たちの「道場破り」なのです。
試されていると思うから、萎縮する・私から挑み、試すのだ。わたしたちのー日本の科学の力を。そして、相手の力を。
頼もう、頼もう、この道場で一番強いやつを出せ。世界で一番のやつを出せ。

手間を惜しんだ分析結果に価値はない。それがドクター・ミヤケの教えですから

読書案内:こうやって頭のなかを言語化する。

頭のなかを言語化することで、日々の出来事をただ押し流されるのではなく、主体的に味わうことができると気づかされた。
情報を受け入れているだけで、自分の内面を深く見つめ直せていなかったと思う。たとえば、よくできたアニメやドラマの映像作品に深く感動しても、すぐ忘れてしまう。今後は心が動いたシーンやセリフをメモに残し、「何に感動したのか」を言葉にすることで、日々の記憶をより鮮明に、色濃く残せたるだろう。
この「丁寧に味わう」姿勢の欠如は、妻とのコミュニケーションにも現れていて、よく「話を聞いていない」ことで怒らせる。まずは身近な大切な人の言葉を右から左へ流さずにしっかり聴く。それこそが、生活をきっちりと整える第一歩なのかも。


私たちコピーライターは、クライアントが抱える、なんらかの課題を解決するためにコピーをつくります。そのとき、特に大切にしているのが、広告の「目的」です。その広告の本来の目的を言語化できていないと、いくらかっこいいコピーを書いたとしても、的外れになってしまうのです。

コピーライターは、相手が何を感じ、考えているのかの言葉を引きだすことで、相手の思いや意見をはじめて理解することができます。それをより世の中に伝わりやすい言葉、つまりコピーとして届けることに心血をそそいでいるのです。相手の言葉に『関わる』姿勢で話を聞きます。

自分の話を聞いて、自分の「軸」をしっかりと言語化することが、自分にとっての答えを見つけられる、一番の近道。言語化は生きる力そのものだ。いつだって答えは、すでに、自分のなかにある。あとは、自分で自分の話を聞きながら、頭のなかを言語化して、自分のなかにある答えをみつけるだけ。

頭のなかが言語化されることで、いったいどんなメリットがあるか。
毎日たくさんの人とやりとりをしていると、なにかしらのトラブルや悩みを抱えることもあるでしょう。なかには、「この人、なんとなく嫌だ」「あの人、なんとなく自分と合わない」といった人も出てくるはずです。
そんなときの、その「なんとなく」をきちんと言語化できると、モヤモヤした感情が一気にクリアになります。「どこに問題があるのか」を整理できて、悩みの本質をつかむことができ、結果的に悩みが小さくなっていくのです。
また、言語化によって、自分自身との関係もよくなります。
例えば、普段から自分の話をしっかり聞いて、「どう生きていきたいか」という自分の「軸」が言語化されていると、仕事でも、プライベートでも、あらゆる場面で、迷ったり、悩んだりすることが確実に減っていきます。

自分たちの軸がきちんと言語化されていると、その軸となる言葉は、迷ったり、悩んだりしたときに立ち戻る場所を教えてくれたり、なにかを判断するときのよりどころになったりしてくれるのです。
そこにかかわるメンバーが共通の価値観や認識をもって、同じ方向を目指して日々の仕事に取り組むことができます。

自分という存在は、なかなか話をしてくれない。
あなたが考えたり、感じたりしていることのほとんどが、頭のなかで「言葉」という形になっていない。
自分が感じている「なんとなく」の理由をいちいち言語化するのは大変ですし、考えてもあまり仕方がない。
ですが、言葉になっていない「なんとななく」のモヤモヤは、その人の態度や行動に自然と現れます。
人間は、無意識にやっていることに対して、なぜそんなことをしたのか、その理由を聞かれてもパッと答えることはできません。
自分という存在は、あなたが想像している以上に、本当の思いや意見を話してくれません。むしろ、「なにを話していいのか、自分でもわかっていない状態」だと考えた方がよいでしょう。
「自分はこの言葉を、どんな意味で使っているんだろう?」を振り返ることは大切です。

言語化の習慣化
「ためる」→「きく」→「まとめる」

ステップ1 「できごと+感じたこと」をメモする
      心が動いた出来事をメモでためる

ステップ2 頭に浮かんだ言葉をノートに書きだす
      「自分が経験したこと(WHAT)」に対して、「なぜ、自分がそう感じたのか(WHY)」を聞く。
      「のはなぜか?」を足して問いをつくる

ステップ3 現時点での「結論」を1行で書く
      言語化したあと、さらに自分の思いや意見をまとめたり、優先順位をつけたりしながら、整理しておくことが大切になる。
      言語化したことを整理し、選んで、まとめていくステップを1つ加えるだけで、あなたの言語化力は飛躍的にアップする。
      思考が整理されるだけでなく、記憶にも残りやすくなる。

ステップ4 今後の「行動」まで言語化しておく
      自分はこれからどうしたいか(HOW)の言語化
      自分の「結論」をもとに「そこにつながる行動とはなにか?」を考えて言葉にする。 

短い時間のなかで、いかに自分の思いや意見を適切に相手に伝えられるか、いかに相手に一目置かれるような発言ができるかが大事
どんな問いであれ、正解は1つではありません。そんな状況で、「いちばん大切にすべきは、これです」と胸を張って自分の「結論」を言葉にできることは、答えのない今の時代において、とても価値のあること。


もしあなたが、「自分の思いや意見を、うまく言葉にできない」と悩んでいるならば、「伝え方=どう言うか(How to say)」の前に、「言語化=なにを言うか(What to say)」に、まず取り組んでほしい。
なぜなら「なにを言うか」という中身が言語化されていない状態で、いくら「どう言うか」という外側を工夫しても、あなたの本当の思いや意見が相手に伝わることはないからです。外側ばかりきれいにしても、中身がないと、すぐにメッキがはがれてしまいます。

読書案内:よかれと思って言ったのに 実はモヤッとさせる 失言図鑑

私としては、3つのタイプの中で、気を付けたいと思ったのは、③の配慮に欠ける言葉を減らすこと。
自分は、相手の気持ちを想像するのが苦手だと思うからだ。相手のことを考えているつもりが、自分がどう評価されてしまうかを根っこでは心配していることがある。

配慮に欠ける言葉は、自分の都合や思い込みから生まれる。大切なのは「この言葉を言われた相手は、嫌な気持ちにならないか? 大切にされていると感じるか?」と、相手の立場に立って寄り添いの言葉を選ぶこと。また、相手の時間や考える負担を減らせる工夫をすること。例えば、「〇〇の件で1分だけ確認させてください。〜〜はAとBどちらで進めますか?」と送れば、相手は即答できる。この2つの意識をもって、相手を思いやる心地よい言葉選びができるといいなぁ。

 


失言とは、「言わなくていいことを、うっかり言ってしまうこと」
「傷つけよう」とイトして発せられた言葉ではないのに、それどころか「場を盛り上げよう」「相手を励まそう」と思って言ったはずなのに、なぜだか受けてをモヤモヤさせてしまう言葉。
①よかれと思って言った言葉が、裏目にでてしまう
②決めつけの言葉(言う側の価値観がでた発言、ひとくくりにしてしまう表現)
③配慮に欠ける言葉(相手の気持ちを想像しきれていない発言) 


(表現)
・判で押したような”定型文”は、相手の心に響きません。本当に「参考になった」という感謝の気持ちを伝えたいなら、「〇〇の話が参考になりました」と、具体的なエピソードを盛り込むようにしましょう。

・「さ」さすが、「し」知らなかった、「す」すごい、「せ」センスいい、「そ」そうなんだ
 気軽に使うと「とりあえず言っている」感じがして、せっかくの「ほめ」に重みが感じられません。

・まず相手のエピソードを受け止めること。
 どんな話もいつの間にか自分の話へと持っていく人は、「会話泥棒」と呼ばれ、周りからよく思われません。

・「普通は○○」と言うときのほとんどが、「普通」という言葉を盾にして、個人的な価値観を押し付けている。

・相手の話をじっくり聞きましょう。解決法は見出せなくても、「大変だったね」と寄り添ってあげるのがやさしさです。

・気を利かせたいとき、「〇〇してあげて」という他人に発する言葉より「私が○○するね」の方が印象がよい。(率先して動く配慮)
 「〇〇してあげて」は「誰かやってよ」という丸投げの姿勢(他人任せ)が感じられる。

・体調を崩していた、仕事が超絶繁忙期だったなどの「バタバタしていた」理由が本当にあるなら、素直にそれを伝えましょう。なんとなく「バタバタしていた」だけなら、「遅くなってごめんね」のほうが、ずっと返信を待っていた相手の心も少し和らぐ。

・「誤解です」と言いたくなるシーンでは、説明側と受けとり手の間に思い違いが生じています。この思い違い=認識のズレが生じる原因は、説明不足と理解不足のどちらかか、あるいはその両方にあります。「そんなつもりはなかった」としても、まずは「説明不足ですみません」と自分の非をおわびしましょう。


人と話すのはとても面倒なことです。だからといって、「人と話さない」ことは正解ではない。失言に気を取られるあまり、黙ってしまうのは本末転倒です。
自分の失言によって雰囲気を悪くしてしまったら、謝ればいいだけのこと。「ごめん」という素直な言葉は、気を悪くした相手にもストレートに響くでしょう。
言われて嫌なことには、「ちょっとグサッときたかも~」「なんでそんなこと言うの~?」などと勇気を出して言ってみましょう。「人はそういうことで傷つくんだな」という相手の学びになり、あなたに対してだけでなく、他でいうのもやめるかもしれません。自分の気持ちを伝えることをあきらめない姿勢は、周囲のコミュニケーションをも円滑にしていきます。

負けことばには、「自分が負けることば」と「相手を負かすことば」があって、どっちもダメなのだ。コミュニケーションの基本は、どちらも負けないこと。「相手を気持ちよくして、自分も負けない」ことばこそが、勝ちことばなのである。
「すみません」と謝ると、「私が悪い」と認めることになるので、負けたような気になって、気分が落ちる。「ありがとうございます」と言うと、「あなたの職務遂行に経緯を表し、感謝します」という雰囲気が漂って、負けた感じがしない。

読書案内:科学の力で元気になる38のコツ

読んだだけでは知識は身につかない。人間とはそういう習性なのだとわかっていても、自然に身につかないのはとても不便なものである。
元気や幸せになりたいのに、自分の意識はどこに行ってしまうのだろう。

AIに整理してもらった。
呪文:「まず動く!美しく、人に優しく、おもしろく!」
「まず動く!」:やり始めれば集中する脳のスイッチを入れ、ネガティブ思考や不安を吹き飛ばします。
「美しく」:鏡の自分を意識して背筋を伸ばし、ふるまいを洗練させます。
「人に優しく」:人の良いところだけを見(加点評価)、自分をハッピーにする「1日5善」を呼び込みます。
「おもしろく!」:自分の未熟さやトラブルも、ユーモアを持って客観的に受け入れます。

脳と身体の関係を見てみると、人間は「やり始めれば集中する」ようになっている、というより、やり始めなければ、集中ができないようになっている。
やりたくないなぁ…と、頭で思うよりも先に、行動!

急なトラブル対応や無理やり押し付けられた仕事など、気乗りしない仕事をするとき、「声を出しながら、目の前のことにあたる」。
「シュっ」「ジャンプ」と声を出す。実際に声に出さずとも、心の中で「今日は調子が良いな…」などと念じながら行うだけでも効果がある。

能力の低い人ほど、自分の未熟さや他人のスキルの高さを正しく認識できない。そのため、自分を過大評価する傾向がある。
人間は誰しも「自分の能力不足を認めるのはつらい」。

落ち込んでいるときネガティブ思考は百害あって一利なしです。どうか、できるだけ意識的に、自分の中からそのような考えを追い出せるように努力してみてください。
うつ状態にある人は、自分に関する否定的情報をよく思い出したり、それをもとに物事をとらえたりする傾向が明確に出る。

人間関係の解決法は「人を減点評価で見ない」ということに尽きます。
私たちは放っておけば人のイヤなところばかり目についてしまう。「悪いところではなく、よいところだけを見よう」と腹をくくる。

ここ一番の勝負に臨む前には、トイレなどに駆け込み、数分間背筋を伸ばし、それから本番に臨んでみる。
不安を書きだした場合とそうでなかった場合では、書き出した方が成績がアップした。
不安を整理して書き出すことで、ワーキングメモリを占める心配ごとを追い出すことができ、試験により集中できる状態に脳を持っていける。

人のためを思った行動は、自分自身をハッピーにする。
1週5善、週に1回1日5善がベスト。

鏡を意識して生活する。自分の姿をチェックする。
ふるまいを洗練させていくことを意識する。

読書案内:生きのびるための事務

この漫画の趣旨は、「好きなことを続けるための事務」にあるように感じた。
《評価》さえも事務的な対象として捉えられている点が印象的である。
お金を稼ぐ以上、相手や上司から評価されることは避けられない。しかし、「誰からも評価されよう」とするのではなく、「誰に評価してもらいたいのか」「どのような評価を求めるのか」を意識することで、評価との向き合い方にも工夫の余地があることが描かれている。
また、この考え方は仕事にも通じると感じた。例えば、最近経験したような議事録のドラフトを積み重ねていく作業も、感情的に受け止めるのではなく、一つの事務として淡々と処理していくほうがよいのかもしれない。心で受けるのではなく、事務を回す感覚で取り組むことの大切さを考えさせられた。

一方で、職場の事務は自分の目的ではなく、他者の目的や組織の維持のためにエネルギーを使う側面が強い。「好きなことをするための事務」と「組織を支えるための事務」は似ているようでいて異なる。だからこそ、この漫画に共感する部分と、自分の仕事にはそのまま当てはまらないと感じる部分の両方があった。

 


おじいちゃんは何かができるようになるための努力は無駄だから、一切するなと言いました。
努力が必要なことはしなくていいことだ。好きなことだったら、ほっといてもどんどん上手になるから、それだけやれ。

恭平もこれからは作家になりたいなんて口走るのではなく、毎日5時に起きて、9時まで原稿を書き続けたいと、言えばいいんです。
作家になるって、そういうことです。

《将来の現実》が見えてない以上、その仕事をうまく発展させていくなんてことは、できないでしょう。
将来の現実とは、将来の自分が、24時間をどのように過ごしているかを想像する以外にない、仕事の中身は考えても評価されるかどうかはわからない。


《好き》は《自信》を凌駕する。《自信》がなくなると作業が止まりますが、《好き》は止まりません。
《事務》の世界で確認することはただ1つ、あなたが継続していきたいことが、本当に《好き》かどうかです。
《好き》で作業を継続しているものは、《失敗》なんか問う必要もありません。
他者は無責任に《失敗》を口にします。そんな評価は無視するに限ります。

事務的に考えると、「本を書くこと」と「本を作る」とでは、まったく別のことです。
「ただ書くこと」が好きなら、書いていたら楽しくて勝手にどんどん書き進んでいけます。一方「何かを作ろう」と考え始めると、作業は止まります。

 

事務的なやり方
《事務》は分からないものを明らかにするのではなく、わからないまま仕事を延々と継続するためにあるのです。
上手くいく人は、上手くいくことしかしません。簡単なことです。《上手くいく》とは、ただ《やり方があっていた》ということだけなんです。
自己を否定したり肯定する《やり方》は、事務的に間違っています。
否定すべきは《己》ではなく、己が選んだ《方法》のみである。
「何を書くか」に悩まず、ただ書く《やり方》を実践する。
《才能》っていうのは、いつまでも楽しく好きなことを、続けられることです。
《評価》を目的とする《やり方》は間違っています。
他者の《評価》で気分が変わってしまっては、継続して物事を進められません。

《評価》を作り出す《方法》は、《評価》されたいものを定める。
好きな作家や雑誌など評価されたいものに《評価》されれば、仕事も生まれます。


ダメな時も、よい時も、自分の《事務》を《評価》するんです。
できないって言っているのは技術的にできてないわけではなくて、設定した《事務》の《方法》が間違っていただけ。
自分は褒めるな、自分の《事務》を徹底的に褒めろ。逆もしかり。自分を批判するな、自分の《事務》を徹底的に批判しろ。