日本経済新聞の「私の履歴書」でよく見かける「特別な才能のない私が今日の地位に就けたのは、周囲に恵まれ、運が良かったからです」という表現は、実際には「運も実力のうちだ」あるいは「謙遜しているが本当は優秀だった」と受け取られることを前提とした一種の計算が含まれているらしい。私はこれまで、その言葉をそのまま文字通り受け取っていた。
どうやら世の中には、このような“控えめな自己アピール”、いわば「チラ見せ」が多く存在している。
自分の中の承認欲求を理解したいと思い、この本を読んだのだが、そこには世の中で起きた不祥事の背景として思い当たる点がいくつかあった。
人の行動には必ず何らかの承認欲求があると仮定し、それが日常の中でうまく隠されていること、あるいは自ら隠していることに気づくことができれば、自分の欲求にも気づき、理性で判断することができるようになるのではないか。
私自身も、自分をより良く見せてくれる鏡のような存在として、地位やお金、あるいは権力を求めている面がある。しかしその一方で、組織の中に収まりきりたくないという思いもまた、確かに自分の中に存在している。
〇承認欲求とは
承認欲求とは「他者から認められたい、そして自分を価値ある存在と認めたい」という欲求である。
承認欲求の基礎的な部分を占めているのは、「自分自身を知りたい」という願望である。社会的動物である人間は、自分自身の能力や個性に加えて、自分が他人からどう評価されているのか、集団のなかでどのように位置づけられているのかを知りたいと思う。そして、そこに「自分のできるだけ綺麗な姿を写しだす「鏡」」を求めてしまう。
(見えない承認欲求)
・子供が親に認められたい
・背伸びをしたい、自分のよいところを認められたい
・ありのままの自分を丸ごと認めてほしい
・大人が異性にモテたいと思う
・ネットへの露出
・映えのための追加消費
(見える承認欲求)
・役職、地位、お金、権力で象徴されるもの
・学歴、偏差値で象徴されるもの
〇承認欲求がどのように表れるか
承認欲求とは、とにかく目立ちたい、注目されたいという欲求だと理解している人が多い。しかし、そうした行動は承認欲求の特殊な表れ方に過ぎない。
承認欲求は、実際にはもっと奥深くて普遍的で、欲求の中身も表れ方も多様性(態度や行動)に富んでいる。
他人から認められたいという気持ちのなかには、たとえば認められると発言力が増し、自分の欲求が通りやすくなるとか(自己効力感)、人事評価がよくなり給与が上がるだろうというような計算も紛れ込んでいる場合が多い。認められることにより、自己肯定感、自尊心、自己実現欲などが高まる。
承認されたいという積極的な形で表れるばかりでなく、承認を失いたくないという消極的な形で表れる場合もある。屈折した形で表れることもある。意地やメンツ、嫉妬などの感情として表れる。
私たちは生活のなかで、、様々な形による無数のコミュニケーションのなかで、意識的に、無意識的に承認欲求を満たす「承認」を行っている。
・他人や周囲から感謝されたり、笑顔の挨拶、食事へのお誘い、他人からの注意も含めて、多くのコミュニケーションやフィードバックがある。
〇リアルな世界にある様々な承認欲求
日本では、学歴や偏差値の実質的な価値はそれほど大きくないことを自身も理解しているにもかかわらず、より高い学歴、より偏差値の高い学校を出ていることに価値があると思っている。より狭き門をくぐって合格した者は優秀な人物だとみなされる。偏差値の高い学校に合格した者は「頭がよい」とみなされている。人格の根幹に近い承認が得られる。同様に、高い地位に就いた人は、能力や実績、権力の象徴である地位を持つことで、人格的に円満で信頼できることを意味する。「尊敬の欲求」を満たそうとする気持ちがある。
仕事で役職を持っていること、集団の中で立ち位置を持っていることで、「無形の報酬」「社会的報酬」がある。
・地位が高い人は対等な場に降りることで、「偉さ」を見せつける。上役への敬意、言葉に耳を傾ける。
「見せびらかし」がしばしば、その人の地位と不釣り合いなほど俗っぽく、幼稚な形で行われると、問題になる。肥大化した承認欲求が理性を麻痺させるのだろう。自己で足りることのない、他者からの「尊敬の欲求」のため。
・接待慣れし自尊心をくすぐる手管を持ち合わせた人たちに、自分たちの「偉さ」を見せびらかす、確認する快感が理性のブレーキを外してしまったのではないか。
露骨な自己顕示欲は「はしたない」とされ、人間関係のなかで自ずと距離を置かれるので、「チラ見せ」がされる。
組織も社会もフラットになると、地位の差に基づく「偉さ」を見せびらかす機会は少なくなる。そして、能力や実績に応じて役職の序列が決まるという構図は崩れ、職位のシグナリング効果は低下し、地位の高い人は能力や実績があり、人物も優れているという見方は、会社内だけの序列でしかなくなる。
技術革新の変化に伴う仕事内容や情報経路の変化、組織のフラット化などによって、役職の序列によるタテ方向の権威が弱まっていきた。
「偉さ」の見せびらかしは、閉鎖的な共同体という相手が逃げられない空間のなかでこそできる。