読書案内:マキアウェッリ語録

新聞の中に、菅義偉(よしひで)元総理大臣が愛読書として挙げていただので、読んでみようと思った。
内容が、現代のビジネス書・指南書のような内容なので、びっくりした。理想の姿が書かれているもの
かと思いきや、私はこう信じるという書きぶり。
いつの時代、場所においても、人間って変わらないのだと知る。


君主にとっての最大の悪徳は、憎しみを買うことと軽蔑されることである。
人間というものは、自分自身の持ち物と名誉さえ奪われなければ、意外と不満なく生きてきた。
軽蔑は、君主の気が変わりやすく、軽薄で、女性的で、小心者で、決断力に欠ける場合に、
国民の心の中に芽生えてくる。自分の行うことが、偉大であり勇敢であり、真剣で確固とした意志
にもとづいてると見えるよう、努めねばいけない(先に記したような印象を与えないように注意
すべきである)。

支配者と被支配者が同列にある場合は、寛大な方針を貫き、支配する者と支配される者に分かれ
ている場合は、被支配者につけあがるすきを与えないために、厳格な態度で臨むのが有効だ。
憎しみだけは買わないよう注意をすべきである。

人々の心に自由に生きることへの強い愛着が生まれてくるのか、自由を持つ国だけが、領土を
拡張し経済的にも豊かになったから。個人の利益よりも、共同体の利益を優先するようになったから。

愛されるよりも怖がられる方が、君主にとって安全な選択であると言いたい。なぜなら、人間には、
怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるから。恩義の絆で
結ばれている愛情などは、利害がからむとなれば平然と断ち切ってしまうものである。一方、恐怖で
つながれている場合は、復讐が恐ろしく、容易には断ち切れないものなのだ。

弱体な国家は、常に優柔不断である。
そして、決断に手間取ることは、これまた常に有害である。
決断力に欠ける人々が、いかにまじめに協議しようとも、そこから出てくる結論は、常にあいまいで、
それゆえ常に役に立たないものである。何かの圧力に屈したあげく、やむをえず為されたものになる。

戦いをするだけで国力の消耗を招くような国は、たとえ戦では勝ちを収めても、その結果として領土
拡張からは、なんの利益も得られない。

困難な時代には、真の力量をそなえた人物が活躍するが、太平の世の中では、財の豊かな者や門閥
支えられた者が、我が世の春を謳歌することになる。

運は、制度を変える勇気を持たない者には、その裁定を変えようとはしないし、天も、自らを破滅
したいと思う者は、助けようとはしないし、助けられるものでものないのである。
衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。逆境にも
動じない人間になる。
「ローマ人は、負けたときもくじけず、勝ったときもおごらない」
弱い人間にとっての運命の変転は、表にあらわれてしまう。好転に恵まれたときは有頂天になり、
運に陰りが差しはじめるや、途端に沈み込んでしまい、卑屈な人間に変り果てる。

何かを為したいと思う者は、まず何よりも先に、準備に専念することが必要だ。
好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げ去ってしまうものである。

自らの評判をあげることである。
このことは、全力につくすに値するし、またこれのみはあなた自身の意志いかんなのだから、誰でも
やろうと思えばやれないことではない。
評判とは、立派な人物だという評価を獲得することである。開かれた精神の持ち主で、広く人脈を
つくること。