小説:七人の敵がいる

お話を読んでいて、これもある意味、仕事小説なのではないかと思った。


陽子の地で、前のめりに発する言葉に、感情があふれ出ていて、共感しつつも、あちゃーと思われるその場の雰囲気もあわせて、面白く思われた。

自分の不安を逆算して、相手に伝わるにはなんて言おうと考えていく。角を立てずに、やんわりと自分の意図していることを伝えることもできてしまう頭の良さが、うらやましい。

また、自分が感じた違和感をしっかりと記憶していて、それを思い返して(「それってどういうこと?」)と腹落ちをさせて次の機会に生かしていくところが、カッコよく思われた。

正論に対峙する正論。ここで書かれている正論は、理想のような正論、現実的には無理を前提としての話なので、具体的に数字で説明して、こうならできるという落としどころに突き進むところは、痛快であった。

相手の意見を聞く、振り出し方など、自分にもできたらと感心して読み終えた。

 

「いかががですか?」
「無理ですね」
「と申しますのは、私は仕事をしておりますので、具体的な内容も分からないままお引き受けするような無責任なことはできかねますということです。」
「それでしたら入学式のときにお配りしたPTAのマニュアルが・・・」
「一通り目を通しましたが、肝心の、拘束日数、拘束時間などが書かれていません。」
「そもそもPTAの役員なんて、専業主婦の方じゃなければ無理じゃありませんか?」


〇確認を取るような形の話し方
「(お迎えで規定の時間から遅れた際に、旦那が遅れてもその場で何も言われない)けど、後で私がお迎えに行ったときに、苦情を言われるんです。こういうことじゃ困りますって。何か変だと思いませんか?」
「(『子供を迎えに行くこと』は、)母親が行けないときには父親がお迎えに行く。すごく当たり前のことであって、何も特別だったり誉められたりするようなことではありませんよね?」

「今回のことは、本当に申し訳ありませんでした」
「お義母さんのおかげで、私たちは安心して仕事を続けることができています。お義母さんが陽介のためにいろいろしてくださることに甘えすぎていました、私たち」
「・・・それで私たち考えたんですが」
「今後、陽介をお迎えに行っていただいた時には、日当を払わせてください。」


〇正論で相手を追い詰めていく
角を立てないためには言葉を選びつつ、やんわり、遠まわしに、問題点を幾重にもオブラートでくるんですこしづつ提出する必要がある。
一方で、無難な対案、要するに「去年と同じ企画」をそっと出す。合間合間に、笑顔や視線で他のメンバーの賛同を促しながら・・・ものすごく迂遠、かつ高度な技術を要する会話運びをする必要がある。

「・・・あの、行先は例年通りのちびっこランドに決まりですよね。一生忘れられない思い出って、いったい何をするおつもりですか?」
「会長としては、具体案はあるんですか?」
「スイカ割りなんていいんじゃないかねえ。」
「売ってますけど、まだかなり割高ですよね、その頃だと、予算、足りますか?...誰がどこで調達して、どうやって現地まで運ぶのですか?」
「園内はかなり広いですけ...」

〇言っていることは要するに「電話対応なんて女にやらせときゃいい」
「無駄、無駄」こんな電話の相手をするのは仕事ではないと、後輩男は思っている。
「それじゃ、同僚にその無駄な仕事を押しつけることについてはどうなの?」
「おれ、小原さんみたいに、ああいう手合いをうまくあしらえないですよね。・・・向いている人がやって、さっさと終わらせた方がいいじゃないですかねー。小原さん、いつも、さすがって感じじゃないですか」
「できねーんじゃなくて、やらないだけでしょ」
「自分の無能を正当化しているヒマがあったら、さっさと電話に出なさいな」

〇仕事
求められている(であろう)文章を、息をするように書けないようでは、編集者なんてやっていられない。
義務でやらされているボランティアと思うから苦痛なのであって、戦術趣味レーションゲームをやっているのだと考えれば(やや無理があったが)やり甲斐を感じることができる。


〇岬さん、とても頭のいい人と思った。人間をきちんと観察し、あらゆる事態を想定した上で、余計なトラブルを未然に防ぐ配慮のできる人だ。いちいち火種をつついては、山火事を起こしてしまう陽子とはずいぶんな違いである。


〇ボランティア集団による事務作業
肝心なのはプランを複数用意することだ。それを提示した上で「どれがいい?」と選ばせる。後で「独断専行」などという誹りを受けないための、大切な布石である。あくまでも「皆で選んだ」という事実が必要なのだ。

「私の気持ちを察してほしい」「言わなくてもわかるでしょ」みたいな気質が、陽子は大嫌いだ(ついでにいえば、何かと「不公平」だとか「不平等」だとか言い出す輩も。もっともらしいことを言って、その実自分がわずかな損もしたくないだけってことが大半だ)。大多数の<暗黙の了解>通りに動けないクラスメートを、<空気が読めない>と切り捨てて白眼視する子供たちと、何ひとつ変わらない。



「ねえ、こういう話があるんだけど、・・・どう思う?」
「こういうふうにしたら、子供たち、喜んでくれると思う?」
などなどと、「相手の意見を尊重する」姿勢を見せるのだ。

〇正論
選挙権を行使しない人間に、政治について文句を言う資格がないように、出席しなかった会議で何が決定しようと、欠席者に文句を言う資格はない。それが道理である。正論そのものである。正論というものには柔軟性がない。正論はきっちりとした正方形である。そして、正論は白黒の市松模様をしている。それを形が定まらず、何色ともつかない色をした「現実」に無理やり当てはめるのは、やはり無理なのだ。